イベント

情文カフェ第27回:私たちはスマトラ地震津波から何を学んだか

2014年7月9日

情報文化学部はいわゆる理系・文系両方の教員が集まっているところですが,それはとりもなおさず多様な領域の相互作用の中で生まれる新たな発見のシーズが隠れていることを意味しています.そのようなシーズを顕在化させること,また話し手,聞き手双方がもっているセレンディピティをも顕在化させることを目指して,開いているカフェが情文カフェです.

原則として第4水曜日18時から,情報文化学部(全学教育棟北側)2階Phononで行っています.参加自由なので気楽にどうぞ.

日時:2014年7月23日(水),18時15分より
場所:情報文化学部(共通教育棟北側)2階Phonon

スピーカー:高橋 誠 教授(環境学研究科)
タイトル:私たちはスマトラ地震津波から何を学んだか

概要:
2004年12月26日の朝、インドネシアのスマトラ島北西沖で、マグニチュード9.1の超巨大地震が発生しました。地震に伴って津波が発生し、インド洋沿岸全域に大きな被害をもたらしました。被害の多くはスマトラ島北端のアチェ州に集中し、この地域だけで17万人以上の死者・行方不明者を記録しました。その中でも州都のバンダアチェは、当時の人口30万人ほどのうち4分の1を一瞬にして失いました。海岸付近の地域では、ほとんどすべての建物が土台ごと流され、浸食や洗堀によって土地自体が消失してしまったところも少なくなく、死亡率は80パーセント以上に達しました。名古屋大学では、この世紀の大災害に関して、環境学研究科を中心に文理連携型の調査団を作り、2005年2月に緊急調査を行い、爾来9年余りの間、被害や復興のようすをつぶさに観察してきました。今年の2月には、集大成となる『スマトラ地震による津波災害と復興』を刊行して、調査の第一幕を降ろしました。この報告では、調査団が何を明らかにしてきたのかということを紹介しながら、いったい私たちがこの大災害から何を学んだのかを考えたいと思います。

sis

(参加者の感想)

今回の情文カフェでは、名大環境学研究科の調査団として長年スマトラ沖地震の研究を続ける高橋誠教授が、“津波を生き抜くこと”についてお話しされました。

地震大国と言われる日本において、地震災害とどう向き合いどう残していくかについて考えるよい機会でした。

 

名大環境学研究科調査団には地震学、測地学、地形学、土木工学、地理学、社会学、経済学、法律学、心理学など文理の枠を超えた様々な分野の研究者が所属しており、スマトラ地震発生後、調査団は住民目線での現地調査を行うため、2005年2月~2014年1月までにバンダアチェへ18回ほど渡航しました。バンダアチェはスマトラ島北西部にある町で、スマトラ地震で当時の登録人口26万人のうち7万人以上が亡くなりました。

 

調査団が現地視察や被災された方へのインタビューを重ねる中で、今回のテーマである“津波を生き抜くこと”の意味として、二つの意味を見出したそうです。

一つは「安全に避難すること」。そしてもう一つは「その後生き続けること」です。

 

地震発生当時、海水浴をしていたバンダアチェの学生は、「揺れたということはわかったが、どうすればよいか何もわからなかった。ただ下宿先が心配なので急いでもどった。」とインタビューの中で語ったそうです。運よく彼の下宿先は高台にあったので津波から逃れることができました。

またこの地方では100年ほど前に2~3メートルほどの大きな津波が地震後に発生していました。そのとき津波のことをローカルランゲージで「ie beuna」と表現したそうです。しかし時とともにローカルランゲージは消え、津波のことも忘れられてしまいました。

地震が起きたら津波がくるということは、私たち日本人ならわかりますが、地震のめったに起こらない地域では、津波という言葉自体も存在せず、地震発生後に海で何が起こるかという連想ができないのです。

 

またバンダアチェにはキアマットという終末思想が存在していたそうです。私たちからしたら信じられませんが、海からやってくる巨大な波を見たとき、これは世界の終わりであり神が与えた試練だと解釈した人もいたそうです。「津波」を知っていたらこちらに向かってくる波を見てすぐに逃げることができたはずです。しかし知識がないためにこの世の果てと思い絶望し、逃げるのをあきらめてしまった人もいたことにとても驚きました。

津波がめったに起こらないローカル地域でも地震災害に関する科学的知識が必要だということを強く感じました。

 

一方で東北大震災では津波に関する文化や知識がなかったわけではありません。しかし結果として多数の死者が出てしまいました。そこには「津波は来ないだろう」といった避難行動をめぐる問題や、「みんなが逃げないから大丈夫」といった集団行為における問題があったのです。これはスマトラ地震でも、東北大震災にも共通した問題です。

 

“津波を生き抜くこと”の一つ目の意味は「安全に避難すること」だと言いましたが、それは「揺れたら高いところに逃げる」ということです。シンプルな答えですがスマトラ地震でも東日本大震災でも先ほど述べたように避難に関して様々な問題があり、決して簡単ではないことがわかります。

 

津波を生き抜くことのもう一つの意味、それは「その後生き続けること」だと言います。

スマトラ地震から10年。現在バンダアチェの人々はそれぞれが災害を受け入れ、新たな居住地、仕事、そして家族をつくり、生活を立て直し始めています。パートナーを失った人も再婚し新しい家族をつくるといったケースも多いそうです。

しかしバンダアチェでは未だに多くの復興の問題を抱えています。町政の問題、寄付金の問題、心のケアの問題…

それは東北大震災を経験した日本も変わりません。超巨大災害の時にはこういう問題がどこの国でも起こるのです。

 

津波は低頻度なので、その経験が伝承としてローカルには残りにくい災害と言えます。だからこそ、そうしたローカル経験をまずグローバルレベルで共有し科学的な知識として解釈し、その後、災害が発生したローカル地域で伝え、継承していくことが必要だと言います。被災経験が忘れ去られることがないように、ローカルな言語に翻訳し直し、社会に埋め込んでいくべきなのです。

 

今回のお話を聞き、ローカル経験を「発信する」ということ、そしてその情報を知った人々がさらに周りの人に伝え、これから生まれる家族にまで「共有する」ということの重要性を感じました。ずいぶん前から私の住む東海地区でも巨大地震が起こると言われています。

そのとき私たちは持ち合わせた知識でとっさに正しい判断ができるでしょうか?そんなことを自分に問いかけ直すきっかけとなりました。高橋先生、興味深いお話をありがとうございました。

 

(自然情報学科:平野紗希)

 

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