学部長からのメッセージ
文理融合って何だ!?
2012年7月14日
文理融合は情報文化学部の重要なキーワードである.では,文理融合とはいったい何だろうか.ふつうに考えれば文系と理系をつなぐ,研究,教育,あるいはプロジェクトということになろう.
ただし,このように考える文理融合という言葉の前提には,文系と理系とが異なるものであるという考え方が存在している.しかし,文系と理系という違いが厳然としてあるという考え方は決して一般的なものではない.日本では,高校から大学入試,さらには就職活動の時点で,文系コース,理系コースといった制度ができあがっているために,それがあまねく行き渡っているような気がしているところがある.歴史的経緯や海外との比較はここでは述べる余裕がないが,少なくともこの二分法が一般的というものではないし,我々がずっとそのような区分を持ち続けることは,新たな研究分野の開拓やその教育への適用,あるいは社会への貢献といったことを考えた場合,決して有用ではない.
私が心理学という分野を研究しているせいでもあるが,人間のことを知りたいとすれば,現在,最も有用なアプローチを使おうとするのが当然である(他分野でも同様であろう).心理学自体が持っている研究手法ももちろん有用であるし,歴史的な流れを知ることも重要,コンピュータシミュレーションも重要,また脳神経科学の手法も重要である.近年では倫理学や経済学との関連も深い.
研究の最先端はわからないことだらけである.そのわからないことを少しでも明らかにできる手法があれば,それが「文系」だとか「理系」だとかは全く関係がない.そのような区分を考えること自体が無駄である.使える方法が見つかれば,それがどのような分野であれ,挑戦し,利用すればいいのである.
人間は,あいまいな状態に耐える事は難しい.あいまいな情報があれば,それに対してラベルづけをすることによって「わかった」気になるようにできている.これはいいとか悪いとかということではなく,詳細な分析をせずラベルをつけて典型的な情報として処理することによって処理の負荷を下げるという,人間が一般に持つ情報処理の特徴である.ただ,研究の最先端にいる状況,あるいは現実社会の問題に直面している状況は,すぐにいい答は見つからず,複数のルートのどれに進めばいいかわからないという,不安定で負荷の高い状態である.そしてその状態は人間にとって居心地のいいものではない.そこで単純なわかりやすいラベルがあると,人間はそれを当てはめて「わかった」気になり,「居心地よく」なってしまうのである.
ただし,これは本当の問題を遮蔽してしまう危険性が高い.大学で学ぶことの大きな意味は,単純なラベルづけに満足せず,このようなわからない状態に耐える力を身につけることであり,時間はかかっても本来の答を見つけようとする態度であると思う.
さて,文理融合である.文理融合が,「複数の多様なアプローチによる問題解決」を目指すものであるとすれば,最先端の研究分野,現実問題に直面した解決を目指す分野では,研究者自身の心の中ではすでに実践されているはずである.
幸い最近の情報文化学部の人気は高い.入学時の受験者数を見てもわかるし,就職率,卒業後の評判など,安心できる状態にある.このことは,理系,文系にとらわれないものの見方,あるいはその自由な精神が評価されており,それらを身につけた学生が活躍していることの証左であろう.
一方,このような自由さは目標が定まらない不安定な気分をもたらすことも確かである.たとえば,理系か文系か何の勉強をしているのかわかりにくい,社会に出たとき(就職活動の際)に説明しにくい,他学部と比べて自分のいるところが説明しにくいといったことを悩むことがあっても,心配することはない.悩んだ方がいい.単純なラベルづけをしてわかった気になっている人間ではなく,「今何がわからないかがきちんとわかっていて,本当の答を見つけようと苦闘している」人間として,またそれを解決する多様な手法を身につけている人間として,立派に胸を張っていけばいい.そういう人間こそが世界を変えることができる.